Y爺の幕末聖地巡礼
坂本龍馬が近江屋で襲撃される直前まで身を寄せ、海援隊の京都本部が置かれていた酢屋嘉兵衛宅です。(海援隊屯所跡)
龍馬は、酢屋2階の出格子から高瀬川の川面に向かって自慢のピストルの試し撃ちをしていたと伝えられています。
酢屋の前の通りは「龍馬通」と名づけられ今なお、人々に親しまれています。
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木屋町御池を少し上がったところ(北に行ったところ)に「佐久間象山・大村益次郎遭難之碑」はあります。
佐久間象山は、朱子学を始め陽明学や蘭学などあらゆる学問に興味を向け多くの人材と交流を持ち、坂本龍馬や吉田松陰などの師匠としも有名です。
しかし、象山の膨大な知識と先進的な考え方は当時の常識とはかけ離れ、それが仇...
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現在の京都ホテルオークラの場所には、長州藩の邸宅がありました。
吉田松陰 、高杉晋作、 桂小五郎(後の木戸孝允)など維新に大きな影響力をもつ人物がこのあたりを頻繁に行き来していたのです。
現在ではホテルの横に建つ桂小五郎の像が当時を偲ばせています。
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幕末!京都史跡マップの第1回目は、「高瀬川一之舟入」を紹介します。
1回目ということで、どこの史跡を紹介しようかと考えすぎて、更新が遅れました。。。
(サボっていたといううわさもあるが・・・)
高瀬川は、京都と大阪を結び、かの坂本龍馬や幕末の志士達が初めて激動の京都へ足を踏み入れたで...
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