幕末!京都史跡マップ「高瀬川一之船入」
幕末!京都史跡マップの第1回目は、「高瀬川一之舟入」を紹介します。
1回目ということで、どこの史跡を紹介しようかと考えすぎて、更新が遅れました。。。
(サボっていたといううわさもあるが・・・)
高瀬川は、京都と大阪を結び、かの坂本龍馬や幕末の志士達が初めて激動の京都へ足を踏み入れたであろう「伏見港」から京都の中心地へ物資を運ぶために創られた運河である。
なぜ1回目に「高瀬川一之舟入」をチョイスしたかというと、幕末の志士達が、特に坂本龍馬は人懐っこい性格であったといわれているので、船頭さんに頼み込んで、坂本龍馬が定宿にしていた寺田屋から京都の中心部へ行くときに、
「ちっくと、あこまでつんでって!」(ちょっとあそこまで乗せて行っての意味らしい)
とか言うて、乗せていってもらったたのではないかという私の勝手な想像で取り上げることにしました。
それとは、別に私が少年のころ、「高瀬川一之舟入」は、絶好の釣り場に思い、釣竿をもって、「高瀬川一之舟入」に隣接する日本銀行に不法侵入しようとしたところ、ガードマンに制止されたという、素敵な思い出の場所でもあるのも理由のひとつです。
高瀬川とは、1614年頃角倉了以によって、京都市内と伏見を結ぶためにつくられた運河である。
高瀬舟という浅い川を航行できるように船底が平らな舟を用いたことが、高瀬川の名前の由来となっています。
大阪からの物資の輸送が盛んになり、多くの藩邸や「木屋町」の名前の由来にもなった材木店など多くの商店が建ち並びました。
百何十艘もの舟が狭い高瀬川を行き来していたので、荷物の積み下ろしや旋回する為のスペースが設けらました。
それを「舟入り」と呼び、当時は、二条から四条までで9つ舟入がありましたが、現存している舟入は、この「一之舟入」のみとなっています。
少年のころは、封鎖された絶好の釣り場だと思っていたが、実は、こんなにも歴史的に貴重な遺産だったとは、思いもよりませんでした。